このところ恒例になっている新年の神田明神で初詣。
ご利益は、縁結び、商売繁昌、健康、開運招福、除災厄除、オールマイティ♪
「IT守護」など、今どきのデジタル産業にも強い神社だそうです。
で、本郷通を挟んだ南側に湯島聖堂の大成殿の屋根が見えているのですが行ったことはありませんでした。
こんなに至近距離なのに、いつもとっとと帰ってました。
がっ!!
昨年読んだ、中島京子著『夢見る帝国図書館』に湯島聖堂が登場するので、どんなところか、ぜひとも見てみたくなり…行ってきました。
湯島聖堂の名前は聞くが、どんなところ?
1792年に、仰高門内に、幕府直轄の昌平坂学問所が建てられました。
それで 湯島聖堂は「日本の学校教育発祥の地」、とされています。
仰高門 ↓
で学問所跡地はどこ?
仰高門の内側には、それらしきスペースは見当たらないなと思ったら…
昌平坂学問所跡地のほとんどが、隣接する東京医科歯科大学湯島キャンパスになっているそうです。
明治維新後、構内には文部省、国立博物館、東京師範学校と東京女子師範学校が建てられ、ここは、文化、教育の聖地だったのですね。
それ故に、近くの学問の神様、湯島天神とここ湯島聖堂をセットでお参りする受験生も多いとか。
そう言えば…
徳川家の三つ葉葵の御紋の付いた水瓶の奥にたくさん絵馬が掛けられていました。
合格祈願の絵馬だったのですね!!
『夢見る帝国図書館』に登場する書籍館(しょじゃくかん)はここに
日本に図書館が如何にしてできたのか、帝国図書館が上野にできるまでと、一人の女性の生き様を描いた作品が『夢見る帝国図書館』です。
明治の世になり、欧米を視察して来た岩倉使節団がビブリオテーキ(フランス語で図書館)の必要性を説きました。
明治政府は、湯島聖堂の大講堂(大成殿)に書籍館(しょじゃくかん)と言う日本初の図書館を作ったのだそうです。
大成殿は、何度も江戸の大火で消失、類焼し、その度に建て替えられましたが関東大震災で焼け落ちました。
何度も火災に合い、その度に規模は縮小されてきて今の大きさになったのだそう。
明治維新の頃はもっと大きな建物だったのでしょう。
静かな佇まいの構内
入徳門
階段下から、杏壇門と大成殿を望みます。いい眺めです^^
杏壇門をくぐると、大成殿
道路一本隔てた神田明神の喧騒が嘘のように静寂に包まれた湯島聖堂。
杏壇門に柔らかな冬の日差しが落ちていました。
その他の見どころ
世界最大!孔子像
樹木の間にひっそりと佇む孔子像は1975年に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたもので、
世界一大きい孔子像だそうです^^
斯文会館
史跡・湯島聖堂を管理する斯文会の建物。
明治の初期には、ここに教育機関が次々に建てられ、近代日本の発展の気運の高まりを感じられたことでしょうね。
政府の教育機関が集まるアカデミックな場所として当時は賑わっていたのだと思いますが、今は神田神社(神田明神)の喧騒とは道一本で隔絶しています。
往時をしのぶのが好きなので、ロマンを感じる場所でした。
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