金沢観光、いよいよ最終回。
金沢旅行2日目は、兼六園→ 金沢21世紀美術館→ 長町武家屋敷跡と周りました。
目次:
21世紀美術館から徒歩12分ほど、いつものようにGoogle Mapを頼りに進んでいくと…
ちゃんと表示が出ていました。
美しい石畳と土塀が続く町並みは必見
土塀が続く武家屋敷跡。今にもひょこりと刀を差した武士が現れそうな気配。
土塀は、石垣の上に版築工法(土を型枠の中に入れ成形した土塀下地で作られる)の塀が立てられました。
こういう場所で、往時を忍ぶのが大好きなので、ワクワクしてました。
石畳と土塀がどこまでも続きます。
金沢市指定保存建物、登録有形文化財・大屋家
藩政時代の直臣平士級の武家屋敷の遺構。
大屋家住宅のすぐ近くの普通のお宅。
普通に武家屋敷が残っているのが長町なんですね。
大野庄用水
金沢城築城に大きな役割を果たしたと伝えられている用水路。
灌漑、物資運搬、防火、防御、融雪などの多目的用水と多目的に作られた用水路。
金沢城築城のための木材を運ぶのに活躍したのですね。
武家屋敷跡・野村家
加賀百万石の家臣の中でも野村家は千二百石。
1583年、前田利家が金沢城に入城した際に、直臣として従った野村伝兵衛貞家の邸。
欧米系の観光客で賑わっていました。
仏間
奥の間
床の間
床の間の掛け軸は、前田家15代目当主前田利嗣(まえだ としつぐ)の手によるもの。
欄間
ちょっとめずらしい欄間のモチーフ。
よくあるのが、鳳凰、鶴亀などの縁起物ですが、こちらの欄間、特に柱の左側、象、そう、エレファントが描かれているのです。
この時代になぜ?とも思いますが、象は、足利義持の時代、織田信長の時代、徳川吉宗の時代に渡来しているのでどこかで観る機会があったのでしょうか。
原田マハさんの著書『風神雷神』にも信長の時代に象の絵が描かれたという記述があったような…(記憶曖昧^^;)
謁見の間と上段の間
謁見の間
上段の間
格天井で、床が高く作られている上段の間には誰が座ったのだろう?と疑問に思っていました。
お殿様が家臣の屋敷にお運びになることってある?
普通は家臣を城に呼び寄せますよね…
この上段の間は、後に住まった久保彦兵衛(北前船で財を成した豪商)が、加賀藩の支藩である大聖寺藩のものを移築したのだそうで、もともとは無かったそうです。
金に糸目をつけない総檜づくりの格天井をもつ上段の間。
紫檀、黒檀を使った緻密な細工。
床の間には、前田家13代目斉泰(なりやす)・14代目慶寧(よしやす)の書が掛けられています。
2階・お茶室 不莫庵(ふばくあん)
石の階段を上がると2階にお茶室があり…以前はここでお抹茶とお干菓子をいただけたようですが、今はお休みされています。
高欄付きの2階の窓から、美しい庭園が一望できます。
ミシュランにも選ばれたお庭
大野庄用水の水を縁側の下にまで引き込んで作った曲水、濡れ縁ギリギリのところまでお水が来てるのは珍しいです。
ずっと広縁に座ってぼーっとしていたい気分。
野村家の庭園は2009年の「ミシュラン観光地格付け」で2つ星に評価されました。
また、アメリカの庭園専門誌である「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」では、日本庭園ランキングの第3位に選ばれたことがあるなど、海外の人たちから高い評価を受けています。
引用元:金沢を観光してみたいかも!
野村伝兵衛使用の武具
能登・末森城の戦い(1584年)で伝兵衛が着用したもの。
当時と今が、地続きなことが不思議に思えます。
旧加賀藩士・高田家 長屋門
高田家跡は、無料で開放されています。
正門(写真下)と、長屋門とお庭だけで、建物内には入れません。
長屋門をお庭から見た所。
奉公人が住み込みで門番をしていたお部屋が仲間部屋(ちゅうげんべや)。
門を挟んで反対側に厩舎があります。
門
高田家のお庭
便利な金沢Flat Busやインフォメーションなど
近くの香林坊に行くのもありですが、武家屋敷跡の中でお茶するのもいいですね。
バス停前のお店はとてもにぎわっていました。
長町武家屋敷休憩館
お手洗いを借りたり、ちょっと休憩できるオアシス。
鏑木商舗
九谷焼の窯元です。
素敵な庭園を見ながらお茶できます。お食事もあります。
金沢Flat Bus
循環バスが1時間に3本通ります。
長町武家屋敷跡は、11、31、51分に来るので、覚えて観光すると便利かも。
バス代はどこで降りてもたったの100円♪
金沢駅へは、ここからバスで8分、リファーレ西門通りのバス停から徒歩7分で行きます。
タイムスリップしたり、美しい日本庭園を見たり、大興奮の長町武家屋敷跡でした!
歴史的建造物大好きな方は、ぜひ行ってみてください!
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