ようやく九州旅行 最後の記事です。
柳川・川下りをした後は、「御花」を見学しました。
御花とは、
江戸時代、柳川藩主立花家の別邸として御花の歴史は始まります。
《中略》
明治時代になると立花家は伯爵家となり、14代当主立花寛治が「松濤園」「西洋館」「大広間」「御居間」「家政局(お役間)」「門番詰め所」等、現在も残る御花の姿の基礎を築きました。
引用元:御花HP
レトロ建築、歴史的建造物好き、お庭巡りも好き…そんなワタクシの満足度がバク上がりの施設でした。
こじんまりとしているが、赤坂迎賓館の風情も感じさせる、洋館
1910年、立花家の迎賓館として建てられた白亜の西洋館は旧福岡県公会堂貴賓館を設計監理した福岡県土木技師の三條栄三郎が設計を担当しました。
西洋館内部
2階の広間は、伯爵が家臣謁見用に使われていたとか…
彫刻が施された重厚な階段手摺りや天井、扉の枠など、伯爵家の格式の高さを感じました
東京・池之端にある旧岩崎邸庭園と同じく、洋館(迎賓館)と、和館が繋がってます
今は、結婚式場としても使われています。
1階大広間と松濤園
大広間は18畳、18畳、12畳の3間からなり、畳を上げると能舞台にもなるのだそうです。
東西に配した立派な床、違い棚、付け書院に旧大名家の格式を感じます。
これが本当の大広間。
南北それぞれに一間幅の畳廊下もさすが大名家。
国指定名勝・松濤園
御花の敷地7000坪はすべて名勝に指定されているそうです。
中でもこちらの松濤園、良く手入れされた美しい庭園です。
回遊はできないので、池泉鑑賞式庭園です、大広間からの眺めは見晴らしが良く、最高です。
そう言えば…柳川城はどこだ??ですが、
北東に10分ほど歩いた柳川高校のそばに、石垣だけが残っています。
柳川城は、掘割に囲まれた難攻不落のお城だったそうですが…
明治5年に放火で焼け落ちています。
柳川家の家老、立花壱岐が一部の士族が武装蜂起しようとしているのを知って、わざと城に火を放ち食い止めた、との説が有力。
池の水は、近くのお堀から引いているそうです。
下げもん(つるし雛)
柳川地方のひな壇には必ずといって言いぐらい添えられている「さげもん」。
女の子が生まれた時に贈られる縁起物が付いています。
鶴・うさぎ・宝袋・三番叟・鶏、柳川地方伝統の毬などが吊るされていました。
色鮮やかで可愛い♪
金箔押し桃型兜
大広間のかもいにずら〜〜とならんだ兜。
兜に金箔とはゴージャスなっ!
西洋甲冑の影響を受けて、安土桃山時代に立花宗茂が一隊全員に揃って着用させたそう。
今でも200頭あまりが残っているのだとか。
ちなみに宗茂は、関ケ原の戦いで負け、改易され(官職、役職をとりあげること)たものの、旧領の柳川に復帰。
一度改易されたのに、旧領に復帰した唯一の大名だそうです。
400年前からここで水の都を見守ってきたんですね。
柳川城の天守から、縦横に張り巡らされたお堀の様子を観るのは圧巻だったでしょう。
洋館、歴史的建造物、お庭…好きなものがギュギュっと詰まった御花でした。
楽しかった〜♪
熊本空港から、熊本城、水前寺公園、(熊本)、高千穂峡(宮崎)、
鵜戸神宮(大分)、柳川(福岡)…と2泊3日、4県巡りの旅でした。
充実の3日、旅館のお料理が美味しすぎて、太っちゃったw
最後までお読みいただきありがとうございました。
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