今年は、例年よりも3週間近く梅雨入りが早かったので、鬱陶しい雨の日が続くのかと思ったら!
この所、晴れが続いて、暑いぐらい。
今日は、お仕事お休みをもらえたので、梅雨の晴れ間を利用して、湊川神社に行ってきました。
ワタクシの趣味のひとつに宝塚観劇があるんですが…
今、上演中の「桜嵐紀」という作品は、楠木正行と弁内侍の淡い恋と、南朝を守るための正行の生き様を描いた心に響く物語です。
宝塚歌劇の公演や公演にまつわる情報を放送する有料チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」で、公演にちなんで「湊川神社」を取材してました。
神戸市民なのに! ちゃんとお参りしたこと無い!!ということで…
湊川神社に行ってきました!
行ったことはあったけど、きちんと参拝したのは…初めてです…^^;
正面からアプローチするのがよろし、ということで南から
湊川神社へのアクセスは、電車なら
JR神戸駅から徒歩3分
JR神戸駅の北側にあります。
正面に信号はなく、敢えて、離れたところに信号があって、ドーンと真正面に見えてきます。
高速神戸駅(地下)から上がる階段出口が正面左手にあるが便利です。
門の右側にある石碑 ↓
あだ波を ふせぎし人を みなと川 神となりてぞ 世をまもるらむ
と詠まれています。
大楠公のお墓は長い間ひっそりとまつられていたものの、豊臣秀吉の時代に発見され、その後尼崎藩主・青山幸利により守られていたそうです。
元禄5年(1692年)に地元の人の熱意を受けた徳川光圀公が立派なお墓を建立したのだそうです。
幕末、勤王思想に大きな影響を与えた大楠公の精神。
吉田松陰、坂本龍馬ら、多くの志士が大楠公のお墓にお参りし、明治の新しい国造りに貢献。
明治天皇の思し召しにより明治5年(1872年)に創建されました。
明治維新の精神の源流には、大楠公の精神(忠義と至誠)があることを明治天皇が示された、それが湊川神社なんですね。
大楠公の墓所
正門の右側に墓所があります。
お参りしました。
大楠公を尊敬していた徳川光圀公の直筆になる碑文「嗚呼忠臣楠子之墓」を撮り忘れました…orz
墓所経由で境内に入れますが、一旦正面に戻って 表神門から入りました。
楠木家の菊水紋入の灯籠。
境内にある楠本稲荷神社。楠木、ではないのです…
神社の中に、また神社。
お狐さまが守っています。
こちらは狛犬。
仁王像のように、阿形と吽形がいるのはお約束。
いよいよ本殿へ
比較的新しい本殿です。
天井絵がカラフルで美しいです!
天井の絵は全国著名画家の奉納だそうです。
中央の「大青龍」は、福田眉仙、その右側の絵は棟方志功・・と言った具合。
大楠公戦歿地
本殿左側のレッドカーペットの上を進んでいくと…
殉節地、と案内が出ています。↓
この門の奥で亡くなられたようです、
門内に入るには、別途神符を授けていただかないと入れないそうです。
鬱蒼と茂った木々の緑陰としめ縄で厳かな雰囲気の場所。
自ずと背筋が伸びる気がします。
湊川神社の前をはしる道路は、「多聞通り」という名前で、「多聞天」から来ているのだと思っていました。
今日、境内の大楠公の生涯を描いた看板を読んで知ったのですが、大楠公の幼名は「多聞丸」。
そして、神門を出て、ふと目にした「多聞通り」の看板。
大楠公の名前から付けられたそうです!のかしら??
楠木正成は明治天皇のおかげで全国区になっていた?
関西出身のワタクシには、子供の頃から、楠木正成の存在は身近なものでした。
学校には、楠木正成の騎馬像もありました。
楠木正成は大阪の千早赤阪村出身ですし、討ち死にしたのは神戸の湊川だから、関西に馴染み深いのだと思っていたら、皇居にも楠木正成の銅像!!
明治天皇のおかげで楠木正成の精神は、日本中に広められ敬われるようになったんですね。
正成正行、親子二代にわたって、天皇に仕え、忠義を守り抜いたのは天晴です。
が、後醍醐天皇が、正成ともあろう、戦略に長けた名将の言葉に耳を貸さず、無駄死にをさせてしまったことは本当に残念です。
もし、正成の知略の通りにしていたら…歴史は違ったものになっていたでしょう。
考えても詮無いことですが。
楠木正成死すとも、忠孝の精神は死せず。
(板垣死すとものパロディということでヨロシク。)
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