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【門司港・最終章】かつての高級料亭 三宜楼|往時の門司港の繁栄の記憶を留めて(日本遺産)

門司港レトロ、最終回。

 

門司港に行ってみようと思った理由は、

1️⃣ レトロや歴史的建造物が好き

2️⃣ 福岡県出身の町田そのこ著『コンビニ兄弟 テンダネス 門司港こがね村店』を読んで門司港に行ってみたい!

3️⃣ 宝塚のトップスターさんの写真集のロケ地が門司港だった

 

…でした。

写真集の撮影は、三宜楼でも行われていました。

 

この記事では、洋館ではない、日本建築のレトロ建物をご紹介します。

 

清滝地区は、料亭や旅館、花街などがあったエリア

港が賑わっていた頃、三宜楼坂には、たくさんの人力車が並んでいたそうです。

夕方になると芸妓さんも行き交い、賑やかだったことでしょう。

 

不夜城と呼ばれていた頃があったそうです。

 

小高い丘の中腹にある三宜楼は、

三宜楼坂を上がった正面にドーンと構えています。

すごい迫力!

お食事を頼まなくちゃいけないのかな、と恐る恐る行ってみると、入場無料、の文字。

よっしゃ、行ってみよう!!

 

建物に比して小さな門をくぐります。

 

ごめんくださ〜〜い!

ここから上がると、左手にお部屋があって、まずそこでビデオを観てからの方がわかりやすい、ボランティアさんの案内で門司港や三宜楼の歴史をまとめたビデオを拝見しました。

 

三宜楼も例に漏れず、門司港の衰退と共に取り壊しの危機

開港前は小さな村だった門司が、1889(明治22)年、国の特別輸出港に指定されました。

 

筑豊の石炭を輸出し、中国大陸が近いこともあり大戦景気に沸いて活気に満ち、商社や銀行の支店が建ち、税関もできました。

日本の三大貿易港として名を馳せ、街は人で溢れていたそうです。

入出港隻数が、1912年に全国2位、 1916年(大正5年)には、日本一に、と当時の繁栄ぶりをこの目で見てみたい気持ちにかられます。

 

栄華を極めた門司港ですが終戦によって大陸貿易は寂れ貿易港の役割を終えつつありました。

旧門司三井倶楽部、旧大阪商船ビル、旧門司税関などの建築物の解体の危機を救うため、立ち上がった北九州市。

熱い働きかけにより、「門司港レトロ」は、自治省の「ふるさとづくり特別対策事業」を勝ち取り、国の事業として整備され、今日の賑い。

 

三宜楼は昭和6(1931年)に建てられた九州最大級の料亭でしたが昭和30(1955)年に廃業。

平成16(2004)年まで個人の住宅として使われていましたが、相続放棄されこちらも解体の危機。

それを知った地元の有志が「三宜楼を保存する会」を結成し、1年の間に1万6000の署名と1900万円の募金を集めて、三宜楼の所有権を取得しました。

 

門司の人たちの郷土愛が感じられるエピソードに胸が熱い。

 

三宜楼 構造模型

公開されている部分は一部で、すごく広いことがわかりました。

延べ床面積1200平方メートル以上、部屋数も20室以上ある3階建ての木造建築物は当時珍しかったことでしょう。

1階のお部屋と雛人形

入口上がったすぐのところにある雛人形。

「この雛人形は三宜楼とともに生きてきました」と説明板にありました。

 

雛飾りはあちらこちらに置かれていて、珍しい屋根付きのものなどもありました。

 

1階のお部屋はお食事を頂くお部屋です。

予約制なので、予約がない時は見せていただけるようです。

 

ふぐ料理は近くの「海人(KAITO)」というお店が担当しているようです。


2階は百畳の大広間

階段の両側の下地窓は、右が雲、左が松、山、正面が月を表しています。

これから、夢のような天上界へ向かう、と言う意味が込められているんですって。

下地窓や透かし窓の意匠あ全部で40種類以上もあるそうです。

 

百畳の大広間 床の間側

レトロな照明器具は、建物を当時のまま忠実に保存するため、写真をもとに全部特注されたそうです。

保存会の熱意がすごい!

百畳の広さの部屋のなかに柱を建てずに強度を保つ、というのが当時は大変な技術だったとか。

 

百畳の大広間 能舞台側

3月ということで舞台にも雛人形がありました。

3階の客室へ

3階の客室に上る階段は少し狭くなっています。

3階の廊下には、当時珍しかった電話が、2回線引いてあったそう。

廊下の途中にある電話室。

送話器を口に当てるタイプの木箱の電話はドラマでしか観たことがなく、初めて実物を目にしました。

カステラ一番、電話は二番、は文明堂、三宜楼はの電話は八番。

3階の天井は網代天井になっていて、高級感がでていますね。

 

三宜楼の朝顔の窓 三宜楼の象徴とも言える窓です。

朝顔は山上憶良の時代、桔梗のことだったので、三宜楼の家紋は桔梗です。

ボランティアの方の法被の背中にも染め抜かれ、

鬼瓦や巴瓦にも桔梗の模様が入っていました。

 

現在も改装が進められていて、まだ途中のお部屋を覗けるように踏み台が置いてありました。

こちらのお部屋、広くて立派ですが、下地がむき出しになっているのでこれから改装されるのでしょう。

欄間の松が当時の雰囲気を伝えています。

廊下の端の通用口の上にも蝶々の透かしが…。


出光興産創業者の出光佐三や、俳人の高浜虚子など、財界人、文化人が多く訪れた、一般人には敷居の高い高級料亭だった三宜楼。

 

三宜楼消滅の危機を郷土愛が救ったというのと、「門司港レトロ」への北九州市の熱意、なんか…門司が大好きになりました。

 

そして…なんか、人が優しい気がする。

 

そう言えば。小説『コンビニ兄弟』に登場する、コンビニの名前、「テンダネス」=優しさ、親切、思いやり、だったな、と。

 

いつかまた行ってみたいです。

 

そう言えば、名物の焼きカレー、食べてないっ!!

 

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