奈良ぷち一人旅の2日目の記事が続くので、その前に…
奈良旅行(11月3~4日)の週末 11月7日に行った、西国三十三所 五番札所葛井寺と、すぐそばにある辛國神社の記事を先にUPしておこうと思います。
葛井寺の南大門が新しくなっていました!
ひさしぶりに西国三十三所 第五番札所・紫雲山 葛井寺に行ってきました。
近鉄南大阪線・藤井寺の駅から商店街を抜けていくと、先に現れるのが、西門。
1601年、豊臣秀吉が寄進したという歴史ある四脚門です。(国の重要文化財)
戦火に焼かれることなく現存しているのが素晴らしいですね。
色あせた朱色が、歴史を感じさせます。
本殿が見えています。
ここを通り越して少し先へ進み1つ目の辻を左に折れると 南大門が現れます。
昨年訪問したときは、カバーで覆われていた南大門が修復も終わり綺麗になっていました。
前回観ることができなかった、仁王像 阿形像、吽形像も、小ぶりですがあります。
この日は、スタンプラリーが行われていたようで、南大門の前に、次々に人が現れては去っていきました^^
伽藍
正面が本堂
この石灯籠には、聖武天皇(在位 724~749年)ご寄附の文字が彫られています。
本当に千本の手がある千手観音坐像
写真撮影禁止なので写真は撮っていないのですが、本当に1000本(実際は1041本)の手があるのはこちらの千手観音のみ。
普通、千手観音というと手が42本なんですって。
奈良の達磨寺にある千手観音は329本。その3倍!
奈良・唐招提寺の千手観音は、953本、後少しで1000本。
葛井寺の御本尊は、日本最古の千手観音(国宝)。
725年の千手観音坐像の開眼の法要は、聖武天皇臨席のもと、かの行基(日本初の大僧正)が執り行いました。
聖武天皇といえば…奈良国立博物館の正倉院展で観た、あの螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)の持ち主であり、行基といえば、奈良・東大寺大仏の開眼供養の導師を務めた大僧正。
弘法大師 修行像
弘法大師堂
護摩堂
本殿
重厚感ある格天井。
鐘楼
紫雲山葛井寺の歴史
河内飛鳥時代、百済からの渡来人によって繁栄したこの付近を王仁一族・辰孫王が葛井の連と改姓し、氏寺として創建したそうです。
勧進帳によると当時は2キロ平方の境内に 東西両塔が備わり七堂伽藍を有していた、と書かれています。↓
楠木正行が菊水の旗を掛けた、「旗掛けの松」
楠木正成の長男・正行が朝廷軍と戦った 藤井寺の戦いが1347年。
その際、ここ葛井寺のこの松に、菊水の旗を掛けたことから旗掛けの松と呼ばれています。
この松は三又の松葉があるそうで、楠木正成亡き後、三人の息子、正行、正時、正儀がこの三つ葉のように一致団結を誓ったそうです。
内容が正しく書き換えられた説明板 ↓
以前こちらに来た時に、旗掛けの松の説明板に楠木正成が三人の息子に団結を説いた、と書かれていて、正成は、藤井寺の戦いの前、1336年に湊川の戦いで亡くなっているのにおかしい、と言う指摘がありました。
今回、新しい説明文が貼られていました。
毛利元就の「三矢の教え」みたいだな、と思ってたら…違ったのね^^;
今回、サクッと樹の下に三又の松葉が落ちてないか探してみたんですが…
レア物なので、そう簡単に見つかりませんよね?
本当に 三又の松葉、出現するんでしょうか? 見たこと無いけど。
四つ葉のクローバーは見たことありますが。
御朱印 300円
3パターンあります。
前回、西国三十三所の御朱印を頂いたので、今回は、日本最初千手観音菩薩の御朱印にしました。
御朱印帳を持っていってなかったので、書き置きください、って言ったら。
今から書きます、と別紙に書いていただきました。
この紙が大きくて…御朱印帳からはみ出すw
周囲をカットする余白も無いので一枚物で置いてます^^
葛井寺の近くの辛國神社 初訪問
南大門へ行く手前にある歴史ある神社。
辛國神社。
葛井寺の創建の説明文に、「渡来人で栄えたこの土地」という文言があったので、この辛國というのも 唐国の意味があるのだと思ってたら…
物部氏の一支族・辛国連(からくにのむらじ)に由来するとのこと。
辛国神社と呼ばれる前は、「春日社」と呼ばれ、興福寺から神主が補任されていたそう。
辛国神社への改名は近世以降。
平安時代には格式ある官社に列せられ、室町時代には、河内守護職 畠山基國が社領200石を寄進して「春日大社」の天児屋根命(あめのこやねのみこと)を合祀。
辛国神社も、葛井寺も、奈良の春日大社や興福寺と宗教上での強いつながりがあったようです。
東大寺の鐘楼の近くにも辛國神社があるので系列?かしらね。
奈良時代以前は、
世界文化遺産に登録された堺古市古墳群がすぐ近くにあり、藤井寺駅の次の駅は「土師ノ里(はじのさと)」、その次の駅が古市です。
土師は、土器や埴輪を作っていた人たちですから、大陸から渡ってきてこのあたりに住んでいたのでしょうか。
神社の前にこの石の道標
辛国神社から直線距離で南に230メートル(徒歩10分、750メートル)のところに仲哀天皇が眠るとされている岡ミサンザイ古墳があります。
応神天皇陵、仲津姫陵、允恭天皇陵なども徒歩では行けませんが、近くにあり、古市古墳群が世界遺産に登録されるのも納得です。
写真は2020年8月12日撮影
大阪みどりの百選のひとつ
参道の両側の木々の深い緑に護られた神社です。
みどりの百選に選ばれるのも納得。
鳥居をくぐります。
御由緒
説明板を見てみると…
二十二代雄略天皇の御代、物部目大連がその祖神(饒速日命 にぎはやひのみこと)を祭祀したことに始まるそう。
もののべめ??は物部が姓、目が名!!
雄略天皇御代に創建ということは、雄略天皇の在位457年~459年ですからその歴史は1500年!!
大泊瀬稚武皇子(おおはつせのわかたけるのみこ 雄略天皇)と穴穂皇子(安康天皇)は、木梨軽皇子の弟だったんですね…
第一皇子の木梨軽皇子は、「衣通姫伝説」にもあるように同母妹の軽大娘皇女と情を通じ廃太子されています。
京都のお寺の歴史と違い、古墳時代に思いを馳せるとちょっと気が遠くなります。
想像できない…でもそんな歴史ある日本が大好き♪
正面に見えているのは、茅の輪?? なぜ?と思ったら、七五三詣りの茅の輪でした。
御朱印
以前は春日社と呼ばれていたとのこと、春日大社の天兒屋根命を合祀しているので春日山、なのでしょうか。
春日大社の神紋が下り藤なのに対して、こちらの神紋は上り藤ですね。
初穂料 300円
伊勢神宮遥拝所
江戸時代にさかんだったお伊勢参り。
簡単には行けないので、この遙拝所にお参りすることで、伊勢神宮参詣したことになるのですね。
伊勢神宮の神様がおわすと思うせいか、凛とした清浄な気に満たされているような、静かな場所です。
鳥居は普通南か東向きに立っていますが、遙拝所の鳥居は西向き。
なぜ?と思ったら、参拝者が伊勢神宮の方を向くようになっているんですね。
西国三十三所めぐりのついでに立ち寄ってみてはいかが?
仲哀天皇陵への道標の前が辛國神社、道標を左に曲がれば 葛井寺の南大門ですから、至近距離です♪
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