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【西国三十三所】第八番札所・長谷寺|平安貴族に愛され、徳川幕府に庇護されたお寺(奈良県桜井市)

5月9日、爽やかな陽気に誘われて、奈良県桜井市にある西国三十三所第八番札所、長谷寺に行って来ました。

 

ぼたん祭りは5月12日までですがすでに花は終わっていました。

残念!!

 

 

 

近鉄大阪線長谷寺駅から行きました

平日とあってか、ぼたんの季節も終わりと迎えたからか駅前は人影まばら。

この駅から遠く長谷寺が見えるのですが、まずは駅の正面の階段を延々と下りていきます。

駅の標高は180メートル、一旦階段で30メートル下って、標高550メートルの長谷寺へと登っていきます。

徒歩18分。

足に自信の無い方の為にタクシーが一台停まっていました。

 

歴史は古く、創建は奈良時代

伝承では、天武天皇の時代(686年)にここに三重塔を建立したのが始まりともいわれています。

両側に土産物屋さんが並ぶ狭い参道を抜けたら、この景色(下)。

深い緑に囲まれた、背筋が伸びるような気持ちになる所。

この奥に入山受付(入山料 大人:500円)と山門「仁王門」があります。

幾重にも重なった枓栱(ときょう 端を白く塗っている部分)が目を引く重厚な作りの仁王門に圧倒されます。

 

一条天皇の御代(986〜1011年)に作られたものの焼失し、この門は1894年に再建されたものだそうです。

 

名残のぼたんの鉢が飾られていました。

 

本殿まで3つの登廊が結んでいます

おぉ〜〜〜、これこれ! 見たかった光景。

東福寺(京都)や、東大寺二月堂(奈良)にもありますが、長谷寺の登廊は長いです。

 

登廊3本で計399段の石段があるそうです。

一段の蹴上が小さいのでなだらかで399という数字に戦かなくても大丈夫♪

1つ目の登廊を上がった所にある手水舎で手を清めて、更にあがっていきます。

 

2つ目の登廊です。

上がった所に、紀貫之古今和歌集に採られている有名な和歌

人はいさ 心も知らず ふるさとは

花ぞ昔の 香ににほひける     

説明板と石碑がありました。

柵で囲われた中に、植わっている梅は、紀貫之が詠んだ梅の子孫だそうです。

 

紀貫之の没後1000年以上経っているのに、若い木だなと思ったら、そういうこと!!

紀貫之といえば、男性ながら、仮名で『土佐日記』を著した人物で三十六歌仙、ぐらいの知識しかないのですが、

 

紀貫之は幼少の頃、ここにいた伯父の雲井坊浄真のもとに身を寄せ、教育を受けていたそうです。

都に上り、しばらく経った後に、この長谷寺に伯父を訪ねたときの歌が 人はいざ、の歌なのです。

花ぞ昔の…の花は、長谷寺の梅のことだったのですね。

 

花といえば、今は桜ですが、はるか昔には、花といえば梅だった、と何かで読みました。

 

3つ目の登廊(下)、ここを抜けたら本堂です。

本堂の右手に御朱印授所があるので頂きました。

久しぶりに、御朱印帳を持って行ってました。

コロナの時は、書き置きのみのところが多かったけれど…。

 

素敵な切り絵御朱印もありますが、御朱印帳を持っていたので「大悲閣」、と書いて頂きました。(初穂料:500円)

 

 

国宝 長谷寺本堂

本尊大観音特別拝観、という国宝の本堂内に靴を脱いであがり、直接菩薩様の足元に触れてお参りできる、というコースもあります。(別途1000円が必要)

 

本堂は、御本尊を安置する正堂(右)、参詣者の為の空間である礼堂(左)、中央の石敷きの間の3部分からなっています。

 

左に出ると礼堂・大悲閣と、舞台があります。

 

おぉ〜〜〜!! 眺めが良い!!

奈良の代表的な火祭りといえば 東大寺二月堂のお水取り「おたいまつ」。

は、毎年ニュースになるので知っていますが…

 

長谷寺にも火祭りが?? 「だだおし」という行事ですって?初耳!!

修二会の締めくくりとして、2月14日にだだおし=追儺会(ついなえ)が行われ

赤青緑の鬼が松明を持って本堂の周りを練り歩いた後退散していくのだそう。

来年は、ニュース要チェックだわ。

 

清水寺の舞台と同じ懸造り(かけづくり)で高さ10m。

振り返れば、礼堂・大悲閣。

礼堂・大悲閣の扁額は横3.6m 縦1.3mの立派な額です


そして、礼堂越しに見えるのが…

日本最大の木造仏・十一面観世音菩薩立像

 天平元年(729)に完成したとされる十一面観世音菩薩は、重要文化財に指定されています。   

国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大の 像高1018cm、ゆうに10メートルを超えています。

 

山間のお寺に、まだ重機も計算機もなかった頃によく作られたな、と感心しきりです。

 

石敷きの通路から、菩薩様にお参りした後、ふと振り返れば、

礼堂越しに緑の山々が見えて、手前の五正色幕(ごせいじきまく)が爽やかな風に揺れて気持ちがいい〜!!

天国でした^^

天井は化粧天井、立派な方位盤も。

たくさんの千社札が貼られているのは、昔から信仰を集めている証左。

 

平安時代、全国に広がった長谷観音信仰

全国各地にある「長谷寺」はほとんどが、十一面観音菩薩様をご本尊とされています。

 

今は、京都ほどの賑いもない静かな山里の奈良の長谷寺ですが、

平安時代から一般民衆に流行した「初瀬詣で」の参拝客で賑わっていたのです。

 

奈良の中心地から離れた山の中腹に建つ立派な本堂、御本尊、広大な敷地。

江戸幕府・三代将軍家光からの寄進により建てられたという本堂、

全国の長谷寺の総本山としての品格と矜持が伺えます。

 

 太古から神々が降り立つ、特別な霊力の宿る聖地とされている泊瀬、初瀬(はせ)の地。

記紀万葉の枕詞、いろいろありますが「こもりく(隠国)=三方を山に囲まれた場所」は、泊瀬にのみかかる言葉で、昔から重要視されていたようです。

 

平安時代長谷寺は官寺に準じる寺として国家に認められますが、律令制の崩壊が進み、経済的な保障にあずかることはできませんでした。そこで、手を差し伸べたのが、仏教に救いと一族の繁栄を求める平安貴族たちでした

10世紀初頭から貴族たちは盛んに参詣に出かけ、長谷寺は有数な観音霊場の一つとして確立されていきます。

引用元:

ニッポンがあこがれた天空の御寺、その歴史をたどる|長谷寺|社寺なび|いざいざ奈良|JR東海

 

枕草子』『源氏物語』『更級日記』『蜻蛉日記』などの王朝文学にも登場していま。

 

10世紀以降の長谷寺の再建は、国家事業だったといいます。

藤原道長ら貴族の信仰を集め、

さらに徳川幕府からの庇護もあった立派なお寺なのですね。

 

今や鎌倉の長谷寺の方が首都圏にも近く人出も多いですが

立派な総本山・奈良の長谷寺を多くの人に見て頂きたい気持ち。

 

長谷寺、ここから始まった

天武天皇の御代に僧の道明が三重塔(現存せず)を建立、僧の徳道が聖武天皇の勅命により十一面観世音菩薩を祀った、と言われています。

 

国宝・銅板法華説相図(現在は奈良国立博物館に所蔵)レプリカを安置。

 

五重塔

昭和29年建立。

さあ、後は下るだけです。

歴史が古いからかお城のような立派な石垣が組まれていました。

花の御寺

境内は、梅、桜、牡丹が終わり、これからあじさいの季節。

こちらも楽しみです。

 

秋の紅葉もいいですね。

歴史あるお寺だからこその庭造り。

 

どの季節でも楽しめそう。

あじさいの季節にもう一度行くか、秋まで待つか迷ってます^^

 

この後は、境内の長谷寺かふぇをご紹介します。

 

 

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