猿沢の池~ならまち経由で旧大乗院庭園へ
猿沢の池から、ならまち通りを南に下り、ヒサゴ屋食堂を越えたあたりにこの看板。
このあたりは、不審ケ辻子町(ふしがづしちょう)
不思議な地名は、元興寺のお坊さんが鬼退治をしようと鬼を追いかけていて、このあたりで見失った、とか。
六道珍皇寺のように、冥界につながる井戸でもあったんじゃないかしらw
ギャラリーなどが点在。
右に折れて南下、太い道なりに行くと旧大乗院庭園文化館に出ます。
あまりメジャーではない? 訪れる人が少ないのんびりした庭園
旧大乗院庭園文化館に入らないと庭園を観ることができないので、ここに庭園があると気づきにくいですね。
「名勝大乗院庭園文化館」の石碑はあるものの、「文化館」だと思ってしまいます。
庭園入口の看板も、興味がなければスルーしてしまいそう。
私は、観るつもりで行ったのでわかってましたが、狙い定めて行く人以外にはわかりにくいかも?
なかに一歩入って見上げれば…丸太が縦横に組まれた立体的な眺め。
白の漆喰と濃い茶色のコントラストも美しいです。
この下には、奈良県内のいろいろな催しを紹介するパンフレットなどが置かれています。
そして窓からの眺め!!!
一幅の額絵のような眺め、最高です!!
事務局の方からお庭に出られますか?とお声がけを頂き、200円を払って庭園へ。
ちょっと待った~~~!! 200円?
この広大な美しい庭園を歩かせていただくのに、200円でいいんですか?
ありがたや~~(。-人-。)
数寄屋造り建築で、右側がお茶室です。
後で知ったのですが、建物2階に上がらせていただけるようで、2階からの眺めも最高のようです。しまった~~~!!
お庭へ。
名勝というのは、
名勝とは、日本における文化財の種類のひとつで、芸術上または観賞上価値が高い土地について、日本国および地方公共団体が指定を行ったもの。特に、文化財保護法第109条第1項において規定された、国指定の文化財の種類のひとつ。
名勝 Wikipediaより引用
夏に、京都・岡崎の無鄰菴庭園に行ったのですが、そちらも「名勝無鄰菴」という石碑がたっておりました。
無鄰菴の方の説明によると。「名勝」というのは、建物で言えば「重要文化財級」のものに当たるのだということでした。
特別にすばらしい景観は「名勝」に指されるんですね。
旧大乗院庭園、園内散策 所要時間約20分
丸窓から観る景色も最高でしょうね!! ガラスに景色が映り込んでます。
緑の中に赤い反橋が映えます。
水面に映る景色もきれいで静けさに包まれた素敵な場所です。
天神島 ↓
橋が狭くて落っこちそうだったので 渡りませんでした…
なんて気持ちのいい眺めなんでしょう!
こちらは西小池にある メジマとオジマ
赤い反橋も渡れます。
三ッ島
鴨たちが生んだ水面の波紋。
旧大乗院庭園の歴史
飛鳥御殿とも呼ばれた大乗院は、一時は寺領を多く持ち、権勢を誇っていたそうです。
室町時代の徳政一揆で荒廃した庭園を、銀閣寺を作庭をした善阿弥が招かれて改修をしたのだそうです。
その後、例にもれず廃仏毀釈の荒波もかぶりましたが、今ここに、このような美し庭園として存在し続けていることが嬉しいです。
明治時代には、持ち主もコロコロかわり、テニスコートやパターゴルフ場があった、ですって??
スポーツならもっと他でやって頂戴。
ここは、景観を愛でる場所!!と思います。
…戦後アメリカ軍が奈良ホテルを接収していたの影響でしょうか…orz
とにかく、美しい姿を取り戻せてよかったです!!
大乗院とは、1087年(寛治元年)に創建され、平安時代から江戸時代に栄えた門跡寺院のひとつ。(藤原氏の子弟が入室し、興福寺の別当職を輩出していた。)治承4年(1180年)の南都焼き討ちによる焼失後に現在地に移り、廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となるまで存続していました。現在、その敷地内の一部が奈良ホテルとなっています。
同庭園は室町時代の徳政一揆で荒廃しましたが、その後門跡尋尊大僧正の依頼により、室町時代に活躍した作庭の名手善阿弥によって改造されます。将軍足利義政を始め公家たちがしばしば拝観に訪れ、以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられていました。一時は奈良ホテルのテニスコートやパターゴルフ場が設置されたこともありましたが、戦後その一部が整備され、1958年(昭和33年)国の名勝に指定されるに至りました。
奈良ホテルHPより引用
2017年から一般に開放されているそうです。
管理は日本ナショナル・トラスト。持ち主はJR西日本と奈良市。
以前は、旧国鉄の保養所がここにあったそうです、贅沢じゃ~~!
先日、文化の日に行ってこののどかさ。貴重です!
またいつか行きたいです♪
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