6月下旬に行った、京都プチ旅行。
最後の記事です、やっと完結させることができてホッ♪
京都大原 寂光院をご紹介します
京都バス・京都市営バス 大原案内所からの道のり
京都大原、三千院とは、若狭路を挟んで反対側に位置する寂光院。
三千院への参道は、バス停の大原案内所から、呂川に沿った一本道を歩いて10分、とてもわかり易いのですが、寂光院への道は 15分、とても変化に富んでいました。
↑ ここから出発ですが、すぐに階段があります。
高野川沿いの道を進みます。
高野川を渡ると…
大原名物、柴漬けに使う赤紫蘇が植えられ、バックは杉木立、大原らしい風景です。
のどかな大原の里。
ひたすら矢印に沿って進み…
ようやく、寂光院に到着。
御朱印は、受付に御朱印帳を預けておきます
拝観している間に書いて下さいます。
洛北大原 寂光院しか読めず。
地・花・莽?
3文字目が漢字辞書にもないので「莽(ボウ 草むらの意)」の略字かしら?
建礼門院徳子の隠遁の地
壇ノ浦の戦いで幼い安徳天皇はじめ、平家の軍勢が次々と入水し、平清盛の息女であった徳子も、入水したものの助けられました。
平家が滅びた後、母・時子から生き伸びて皆の菩提を弔うように、との言葉に従ったのだそうです。
京都に戻って、出家し、寂光院にて静かに暮らしたそうです。
平家の栄華を知っている徳子が、鄙びた山の庵で墨染の衣で過ごすことになろうとは、さぞ辛かったと思うのですが、世間から離れひっそり暮らすほうが気が楽だったよう。
それでも、徳子に仕えていた右京大夫は、往時は60余名が仕えていたのに、小さな庵で墨染の衣を着て、三、四人の侍女とのあまりにわびしい暮らしを見て涙を流したとか。
交通が発達した今でも、京都の中心地から時間がかかるのに、平安末期だと山奥のうら寂しい場所だったのでしょうね。
とは言え、このお寺は徳子のために立てられたわけではなく、開基が聖徳太子、594年にできた長い歴史を持つお寺なんですね~!
露地門と茶室・孤雲
石段を上がっていきます。
山門の手前に、苔生した露地門(茶室に向かう門)が立っています。
分厚い苔の緑が歴史を感じさせてくれます。小さい「孤雲」の表札も。
下:内側から見たところ。手前の東屋もたっぷりの苔が載った屋根です。
茶室・孤雲は、非公開のため、入ってすぐに行き止まりです^^:
遠景で見るのみ。
寂光院山門を入って、境内を散策してみました
緑豊かな山懐に静かに佇む寂光院です。
建礼門院徳子は高倉天皇の中宮(天皇の后)であったから菊の御紋が付いていますが、門跡寺院ではありません。
普通の尼寺です。
正面に小さなお堂、左手に汀の池、右手に池泉式庭園 四方正面の庭があります。
書院
火灯窓と擬宝珠の着いた欄干が可愛いです^^
あ!WiFi使える!と喜んだのもつかの間、電波状況が悪くて結局使えず…orz
下: 書院前の庭の雪見灯籠
本堂は、景粛殿と言うのですね
汀の池から、景粛殿を望む。
靴を脱いで、本殿に上がりますと、中央に地蔵菩薩立像が安置されています。
これは火災で焼け出され、修復されたものです。
菩薩様の手から五色の紐が垂れていて、その端を掴むと願いが叶うとの謂れがあるそうです。
コロナ下で、五色の紐を掴むのも、半紙が用意されいるので半紙で挟んで持ちました。
優しい表情の地蔵菩薩様でした。
この本堂には、お寺の歴史などを説明してくださるお寺の方がいらっしゃるので、私ひとりのためにお話してくださいました。
ありがたや~
四方正面の庭
本堂正面から左手を観ると、四方正面の庭が見えています。
建仁寺にも四方正面の庭があって、四方の廊下や座敷から観ることができますが、こちらの四方正面は二方向からしか観ることができません。
奥に三段落ちの滝が見えています。
汀の池と千年の姫小松
竹で支えてあるのが姫小松です。
石碑 ↓
阿波内侍(あわのないし)、右京大夫局(うきょうだいぶのつぼね)、大納言佐局(だいなごんのすけのつぼね)、治部卿局(じぶのきょうのつぼね)の名前が彫られています。
阿波内侍と大納言佐局が、建礼門院徳子の最期を看取ったのだそうです。
諸行無常の鐘
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す。
「平家物語」の冒頭に登場する諸行無常の響きは、この鐘の音だったのか…。
このお寺は、栄華を極めた生活から平家滅亡を目の当たりにした 建礼門院徳子の人生は「盛者必衰」ですものね。
鐘自体は、江戸時代のものだそう。
緑の中にひっそりと立つ鐘楼
脇の出口から帰ります。
ここから出ると、宝物殿(鳳智松殿)があるので、是非観ていただきたいです。
あ、お手洗いもあるのでここで済ませても。
白い建物がお手洗いと宝物殿です。
2000年の放火で大切なものが焼けてしまいました
2000年5月9日深夜、放火による火災が発生。1時間で消し止められたものの、古い木造の本殿はあっという間に焼け落ちましたが、御本尊の重要文化財「木造地蔵菩薩立像」が炭火。(灰にならなくてよかった…)
現在は修復され、彩色されきれいになっておられます。
御所の建物も、落雷や花火の引火などで度々建て直されています。
が、放火は故意で、悪意があります。
金閣寺も放火で焼失しました。
なぜこのような暴挙を働くのか、犯人にその心理を聞きたいです。
重要文化財の盗難や散逸も問題ですが、焼けてしまったら二度と元にはもどらないので、歴史ある国の宝物ですから みんなで大切にしたいです
ランキングに参加しています。
ポチッと押して頂けたらうれしいです
↓
いつも応援ありがとうございます