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駅近霊場 7世紀建立の葛井寺|西国三十三所・五番札所

 西国三十三所 第五番札所 葛井寺(ふじいでら)

 先日、兵庫・宝塚市中山寺のご紹介をしました。中山寺西国三十三所 第二十四番札所で安産祈願で有名なお寺です。

今回ご紹介するのも、駅近の西国三十三所 第五番札所 紫雲山葛井寺三宝院剛琳寺とも言い、明治中頃までは剛琳寺と呼ばれていたそうです。葛井寺(ふじいでら)で親しまれるようになったのは、いつからでしょうね。

 

葛井寺藤井寺

藤井寺という地名は、のちに大和在住の藤井安基という人が葛井寺の荒廃を嘆き、その復興に尽力したことから生まれたといいます。

藤井寺市HPより

どちらも「ふじい」で混乱しそうですが、「藤井」は名字から来ているのですね。

 

葛井寺は、近鉄南大阪線 藤井寺駅前の商店街のアーケードを抜けた所にあります。

えっ?こんな所に?な ややサプライズ感 ^^

 

商店街を抜けた所にあるのは お寺の西側の門。 

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8月12日に行きましたが 8月9日の千日詣りの看板が、まだ残っていました。

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小ぶりの門ですが、豊臣秀頼が寄進したそうで、桃山時代の様式を残す国の重要文化財に指定されている四脚門です。(1601年建立)

もともと、この門が南大門だったそうですが、西側に移され、今はもっと大きな南大門が、本堂の正面、南側に建っています。

現在の南大門は寛政2年(1790年)年に建てられた楼門で二重門。仁王像も立っていますが、現在修復中で観ることができませんでした。残念!!

50年ぶりに朱塗り替えも行われるそうです。きれいになった南大門を、また見に行きます。

 

四脚門も、かなり老朽化が進んでいるので修復されるのでしょうか。千社札が貼ってあるけれど…

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南大門は…

もともと、こんな門でした。

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傷みが目立ちますね、これからの1300年に向けて改修されることに。

現在の様子は…↓

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新しい瓦が葺かれています。

随分褪色が進み、木も朽ちてきてたので、修復も納得です。美しく生まれ変わった南大門を見たいです。

2025年 本尊千手観音開創1300年

…ということで、現在修復が行われているようです。

「南大門の大修理」「阿弥陀堂再建」「阿弥陀三尊二十五菩薩修復」の3つを令和の大改修として進められるようです。

現在、改修工事が行われているのは南大門のみです。

寄進を募っておられます。詳しくは ↓ 葛井寺HPより

◆外部リンク

西国第5番紫雲山葛井寺〜国宝千手観音の寺〜 | 日本最初の千手観音

境内に入ってみました。

 歴史あるお寺だとは知らなかった

大阪で~生まれた女やけれど~♪ 葛井寺は、駅近で千日詣りのあるお寺、のイメージしかありませんでした。

今回、記事を書くために調べてみたら、奈良時代聖武天皇によって葛井連(ふじいのむらじ)の邸宅地に建立されたとのこと。

境内からは西暦600年代の瓦が出土していて、白鳳時代(645~710年)に建てられたようです。

京都八百八寺は、平安時代以降に建てられたお寺なので、葛井寺より歴史は浅いのですね。

葛井寺の歴史

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藤井寺の戦い

…というのがあったことも知らなかったのですが、足利尊氏を長とする幕府軍南朝の楠正行(くすのきまさつら)が、このあたりで戦ったのだとか。幕府軍藤井寺に陣を敷いて、一旦武具を解いていたところを正行の軍に急襲され南朝が勝利を収めました。

伽藍

西門をくぐると一番に目に飛び込んでくるのが、護摩堂(手前)と本殿(奥)です。

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護摩

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左に見える白壁の建物は宝物殿です。

手水舎

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どこのお寺も神社もコロナ対策してますね。先日行った中山寺は、柄杓を使えました。

本堂

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こちら側からは伺えないのですが、本堂の奥が本坊です。かなり広いですが、周りを商店街や住宅で囲まれているのでせせこましい感じがします。

歴史ある寺院なのに、もったいない。

そして、御本尊は!! 千手観音菩薩さまです!

日本最古!!毎月18日には御開帳、行くなら18日ですね。

 

九十九里浜や八百八橋や百足(ムカデ)やら 大きい数字が付いているのは、その長さや多さを数字のイメージで表していることが多いです。

が、葛井寺におわします千手観音菩薩様は、本当に手が1000本以上、正確には1041本あるそうです。

 

奈良・唐招提寺の千手観音は、953本。惜しい!!

 

千手観音がいらっしゃるので、葛井寺のことを「観音さん」と呼び親しまれています。

境内は、付近の住民の通り道にもなってます。

 

紫雲石灯籠とお百度石、旗掛けの松

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石灯籠には聖武天皇御寄附の文字、歴史を感じますね。(聖武天皇在位 724~749年)

室町時代には、興福寺の末寺(まつじ)として栄えていたとか。奈良・興福寺とは30キロちかく離れていますが、興福寺の力がこのあたりまで及んでいたんですね。

 

願をかけるために踏むお百度。踏んでらっしゃる方を見たことはないのですが…

 

左奥の、柵で囲まれた松は、「旗掛けの松」。

楠木正成がここに陣を張り、三人の息子を呼んで秘策を練り、10倍の人数の敵勢に大勝した藤井寺の戦いより、三葉松が現れるようになったと説明板に書いてます。

三人の力を合わせればどんな困難にも打ち勝つ、って…毛利元就の三本の矢と似てますね。

そもそも1347年の藤井寺の戦いの時には、父・楠木正成は亡くなっています。(1336年没)

後付のエピソードだと思いま~す♪

鐘楼

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阿弥陀二十五菩薩堂

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弘法大師

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左に赤い幟が立っている所が東門です。

境内はもっと広かった

かつては、大伽藍だったようですが、戦火で焼けてしまったのがもったいないですね。

戦後、南西の石垣が壊されて、商店街になったという話。

南大門の西側の一画は、もともと境内だったところ。

周辺には住宅が立ち並んでいるので これ以上の拡張もできないのがもったいないです。

御朱印と散華札

御朱印は300円で書いていただけます。(本堂右側)

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早創1300年、の金のスタンプ。

2025年、大阪万博の年に1300年の法要が行われるそうですので、時間があれば立ち寄ってみるのもいいですね。

 

 

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